ライブカメラ

笹野観音

お知らせ

2011.08.11

8月27日(土)の夜、奉納盆踊り実行委員会主催の米沢最後の盆踊りが境内で行われます。
8月のフォトギャラリーは、夏祭り前夜祭です。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.07.08

7月のフォトギャラリーは白布温泉開湯700年の記念の年の源泉祭。笹野本町・加藤政治さんの写真を提供して頂きました。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.06.11

6月のフォトギャラリーは羽黒山。始めに米工生徒の課外授業での写真を、先生より提供して頂いた中から3枚を掲載しました。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.05.01

5月のフォトギャラリーは、中笹野の山ノ神の祭礼です。所々、山ノ神講中の方に撮って頂きました。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.04.01

4月のフォトギャラリーは、笹野の村念仏です。コメントは写真内容にかかわらず念仏の次第を貼り付けました。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.03.01

3月のフォトギャラリーは、笹野観音参拝の縁起物として伝わる笹野彫を実演販売する笹野民芸館です。
弘法大師のご聖語更新しました。

2011.02.01

2月のフォトギャラリーは今年の十七堂祭です。
弘法大師のご聖語更新しました 。

2011.01.01

正月行事・1月1日の午前0時より元旦護摩祈祷。
1月3日(月) 11時より大般若転読のご祈祷。
1月17日(月)は笹野観音十七堂祭です。

思いのまま一言

 原発被災地の犬や猫の里親や一時預かりできる人を募集するチラシの張り出しの依頼を受けました。
現地では出産ラッシュで、次々カラスに食べられている悲惨な現状。預かる人がいないと保護ができず餓死や凍死を迎える冬まで一匹でも多く助けたいとのこと。可能な方は中継ぎの「かもしだ」さんまでご連絡を。yoshie.kamo9119@nifty.com
<2011.08.11>

 笹野の盆踊りは昔より八朔の前夜、新暦では8月31日に豊作を願って行われてきました。
これまで途中2・3度、中断がありましたが笹野の若衆が日にちを土曜や日曜に前倒して再開、今年が7回目の盆踊りとのこと。今回は踊りや仮装の審査もして賞品を用意すると会長は張り切っていました。
<2011.08.11>

 白布温泉開湯700年、昨年より今年、来年と3カ年に亘って感謝祭のイベントが展開されています。スタンプラリーは笹野観音を始め、米沢の8カ所を巡って白布温泉がゴール。アッと言う間にスタンプの台紙が無くなってしまいます。
 米沢商業学校野球部の皆さんが夏の大会を前に座禅を体験して行かれました。大人の身体なのに初々しさを放つ集団を前に、これから人として旬を迎える若者達をチョッピリ羨ましく感じながら米商野球部、ガンバレ!
<2011.07.08>

 地元の米沢工業高校の課外授業で、グループの一つが境内のゴミ拾いの清掃奉仕とそば打体験で笹野に訪れました。観音堂の彫刻等を説明する中、後神の羽黒大権現の前の写真もありましたので、フォトギャラリーは分霊元の庄内の羽黒山です。
 6月6日の羽黒山境内にはまだ雪が残っていて、屋根葺き作業や地震でゆがんだ屋根の修理作業をしていました。
<2011.06.11>

 この度の震災では観音堂の屋根葺きを依頼している石巻の熊谷産業も社屋等、津波に流されて大きな被害があったと連絡を受けました。
「人命に関わることが無くて本当に良かった」とのことでしたが、どう捉えたら良いのか複雑です。
 しばらくして、東京駅の屋根に使用する石の板が津波に流されたのを請け負っていた熊谷産業の人達が拾い集めた新聞の記事をみて、笹野観音堂の屋根は誇り高い職人さんを抱える会社にお願いしているんだと改めて思いました。
<2011.05.01>

 突然に襲った大地震のあまりにも大きすぎる被害。連日の報道は復興の兆しどころか、日に日に被害の影響が拡大しているかのようです。
 再会に抱き合いながら「命があっただけで充分」とのテレビ映像。互いに慰め合っているのか、自らに言い聞かせているのか、この時を過ぎれば現実は辛抱と不安の日々が続きます。地獄絵のような中で家族を亡くし、家や仕事場を失った人に「頑張って」といつまでも辛抱を強いて良いはずはありません。
 我慢は期限が見えなければいまだ地獄の中。災害が国難ならば国民みんなの住民サービスを切り詰めても、早く被災者の辛抱の先にある生活の手だてを示すことがやがて国益に叶うのかと。被災者の方々が遠からず「命があったから」と思えますように。
<2011.04.01>

3月1日現在、境内の積雪は1メートルを超えた程。
雪の上を吹く風は冷たくても日差しはもう春。時折、雪が降っても雪は確実に減ってゆくことでしょう。
「火山灰で無いから良いよね」との声。九州宮崎ではこれから本番を迎える田畑の作付けやその生育にどんな影響があるのかと大変気になります。
<2011.03.01>

ここ数年、比較的に雪の量が少ない年が続きましたが小寒に入って雪の日が続きだしたら、あれよあれよと言う間に本来の冬の光景になってしまいました。
観音様も1月23日に屋根の雪下ろしして頂きました。
ニュースでは豪雪の事故や災害が連日報道されます。
間もなく冬も折り返し、苦にせず、そして油断無く。
<2011.02.01>

明けましておめでとうございます。今年は天候穏やかで、社会は良い方に向かうよう期待したいところです。
初縁日の十七堂祭は境内に縁起物の笹野彫や笹野花が花小屋で売られます。午後2時より柴燈護摩の祈祷。
火渡りも行われます。どうぞご参拝下さい。
<2011.01.01>


由緒

昔、坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請し
また、旅の僧が霊木を刻み鎮守として村人に祀らしめ
背後の笹野山(斜平山・なでらやま)の中腹に観音堂
と羽黒権現の社があったと伝えられている。

弘仁元年(810)七月、現在の地に観音堂が落成し
観音菩薩と羽黒権現をお祀りし、会津の高僧徳一上人
により入仏供養が行われた。

永享年中、長井の高僧宥日上人が観音と羽黒の両尊を
秘仏とし、新たに刻んだ千手千眼観世音菩薩をご本尊
としてお祀りする。

直江兼続が祈祷師の養蔵坊清順に庄内羽黒山より勧請
させたと伝える羽黒大権現を後神としてお祀りする。

以後、歴代藩主により五度の修理が行われる。
安永8年、上杉鷹山公が観音堂を再建される。
天保4年、観音堂炎上、秘仏を除いて焼失する。

笹野観音

天保14年、上杉十三代の斉憲公が観音堂を再建され 藩内各宗の寺院によって七日間にわたって落慶法要が 行われた。

藩主は月に三度、ご本尊の千手千眼観世音菩薩を祈願 され、また庶民に至るまで広く信仰されて、当地随一の観音霊場とされ、民芸品の笹野彫は、観音様参拝の縁起物として今に伝えられたものです。

本山は総本山を奈良の長谷寺に、大本山を東京音羽の護国寺に仰いで、真言宗豊山派に所属して現在に至っています。